最近、欧米諸国で流行っているのが極右勢力の台頭です。先の参議院選挙で日本にも目に見えてその波が来ているように思います。今日は戦前の海軍軍縮会議と当時の国内の批判と昨今の日本の潮流を考えたいと思います。
1930年 ロンドン海軍軍縮会議
ロンドン海軍軍縮会議とは、当時の5大国(米・英・仏・日・伊)が、それぞれ無限に軍拡をしていくのを避けるために協定を結んだ会議です。各国の国力の差から保有していい艦船の数や大きさが制限され、例えば、米:英:日では10 : 10 : 7のように差がつけられることになります。
なぜこのような協定を結んだか
軍縮会議が結ばれた理由は、各国同士の緊張を緩める他に、1929年に起きた世界大恐慌も関係していると言われています。大恐慌による経済危機により、各国の財政状況はひっ迫しており、軍事にお金を使う余裕がありませんでした。そのため、日本を含めた各国にとってこの条約は悪い話ではなかったのです。
日本にとって不平等な条約ではないか
確かに数字を見れば、日本はアメリカやイギリスの7割の規模でしか海軍力を持てない不利な条件でした。しかし、当時の米英は日本の数倍の経済規模の国力を持っており、もし無制限に海軍の増強合戦をはじめた場合、日本と米英の差はより開いてしまう懸念がありました。またアメリカは東海岸と西海岸に戦力を振り分ける必要があるため、太平洋だけに戦力を傾けられる日本の方が実質的には有利な条約だったという見方もあります。
裏で条約を違反して秘密裏に艦船を作っていなかったか
条約を締結しても秘密裏に軍艦を作ることはできそうですよね。どのように条約の効力を担保していたのでしょう。
ロンドン海軍軍縮条約では軍艦の建造・廃棄・性能などに関する詳細な情報の相互通告や監視が義務付けられていました。隠れて作ることもできなくはなさそうですが、造船所の規模や資材、人員の動きは外部から観察されやすく、また西洋列強の諜報活動も進んでいたため、完全な隠蔽は困難であると考えられていました。
また隠れて軍艦を製造していたことが発覚すれば国際社会での信用失墜や、他国による軍拡再開の口実になるなど、自国にもデメリットが大きかったため、条約破りには慎重だったと考えられます。
国内の批判が大問題でした
戦前の軍部は政府から独立した組織で力が強かったため、当然、自分たちの力を制限する条約をおもしろく思いませんでした。また政府は事前の取り決めよりもわずかに不利な条件で条約を締結する結果になりました。
締結された条件を持ち帰ると軍令部は、政府が自分たちの承認を得ずに条約を結んできたことを問題視し、「政府は天皇の持つ軍隊の最高指揮権を犯した(統帥権干犯)。これは大日本帝国憲法第11・12条違反である」と激しく避難しました。時の内閣総理大臣浜口雄幸(おさち)は軍縮に反対する青年らに東京駅で狙撃される事件も起こりました。この狙撃が直接の原因かは微妙なところですが、浜口雄幸首相は翌年死亡してしまいます。
海軍軍縮会議後の混乱と現在の日本の極右勢力の対等との共通点
1930年代のロンドン軍縮条約をめぐる日本国内の混乱と、現代における極右勢力の台頭には興味深い類似点と学ぶべき示唆があります。
当時、日本は軍縮条約の批准をめぐって、軍部が「統帥権干犯問題」を掲げて強く反発し、政治的にも社会的にも大きな混乱が生じました。条約を結んだ政府は国際的な協調と経済的制約を背景に妥協を選びましたが、軍部や右翼勢力は「国の主権と威信を損なう」と主張し、結果として政治的緊張、射殺事件、軍部の政治介入の増大を招きました。この時の不満や分裂は第二次世界大戦終結まで軍部主導の軍拡や戦争への道を開く一因となりました。
現代の日本でも、少数ながら軍備増強や核武装、米軍撤退を主張する極右勢力が存在し、大義名分として「国の独立」や「主権回復」を掲げています。彼らは現行の外交安全保障政策に不満を持ち、ナショナリズムに訴えて支持を得ようとしています。これは過去の軍縮反対派が憲法や天皇の権威を根拠に「正当性」を主張し、国民感情を動員した構造と重なります。
両者に共通するのは、政治的な現状への不満を「もっともらしい理由」で正当化し、国粋主義的なナショナリズムを喚起して支持を広げる点です。過去の軍部は「国防・国体護持」という大義で国を動かし、現代極右も「自主独立・真の自立」を標榜して政治的影響力を追求します。しかし、歴史を見ると、過剰なナショナリズムと軍事主義の強調は結果的に国内分裂や国際的孤立、そして社会的混乱を生むリスクがあります。
一方で、現代の日本は法的に文民統制が確立されており、国際安全保障環境も異なるため、1930年代のような軍部主導の動きがそのまま再現される可能性は低いと言えます。しかし、国内の政治的分断や排外主義的傾向、イデオロギーの対立が深まれば、過去の混乱に似た社会的緊張が再び高まるおそれもあります。
まとめ
1930年代の軍縮条約問題を巡る国内の混乱と現代極右の動向は、政治的不満の正当化手法やナショナリズムの利用という点で共通する構造を持ちます。歴史から学び、冷静な議論と多様な意見尊重の姿勢、法の支配に基づく政治運営こそが、健全な社会の安定と国際関係の平和維持に不可欠であると言えるでしょうね。
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